こんにちは♪
今日は不安や恐怖について考えていきたいと思います
不安や恐怖って嫌なものではないですか?
不安や恐怖を感じている時ってなんか気が重くなったりして
でも・・・
そのあなたが感じている不安や恐怖って実は何の根拠もない、幻みたいなものなんです
今日はその不安や恐怖は幻想なんだよということとおすすめのそれらとの付き合い方をお話したいと思います
目次
不安や恐怖 それには実体がない
私も以前、強迫性障害やうつ病に悩まされたときにはそれはもう不安と恐怖でいっぱいでした
ちなみに「不安」はそれを感じる対象がなんなのかわからない場合であり「恐怖」はそれを感じる対象が明確な場合に使う用語のようです
例えばうつ病のときは貧乏になったら・・・(貧困妄想)何か重大な病気かも・・・(心気妄想)俺なんか生きる価値がないという自己否定感にさいなまれていました
強迫性障害では私は加害恐怖があったので毎日のように「逮捕されるかも・・・」「人を傷つけてしまうかも・・・」という恐怖がありました
こういったものが常に頭から離れずそれはもう毎日疲労困憊でした
例えばそういった精神的な病気ではなくても「彼女に振られたら・・・」「仕事ができなかったら・・・」「朝起きれなかったら・・・」とか日常生活に不安や恐怖はつきものだと思います
あの時こうすれば・・・みたいな後悔もこの部類に入ると思います
こういった不安や恐怖みたいなものって実は幻想なんです
なに一つ実体がないものなんです(そこに気づいてください)
もし本当にその不安や恐怖がそのまま起きたとしたら(絶対起きませんが)あなたは予言者、予知能力があるということになってしまいます
でも今までのことを振り返ってみてください
その不安は本当にそうなりましたか?恐怖はどうでしたか?
確かに「結果」は当たったこともあるかもしれませんが当たらなかったこともあるはずです
それは当たり前なんです
それら不安や恐怖は
勝手に
自動的に
頭の中だけで起きていることなんですから(体験していないですよね。要は妄想と一緒です)
前に何かの本だったかに書いてありましたが
ある人が悩みを相談していたら、お坊さんか誰かがその悩みを「ここに出してみなさい。そうしたら治してあげるよ」みたいな話を読んだことがあるのですが
まさにそれです
結局、全て頭の中で起きていることで、それ(不安や恐怖)には実体がともなっていないのです
不安や恐怖は実体がないもの=幻想・幻
まるで現実に起きるかのように偽っているだけなんです
試しにその不安や恐怖に飛び込んでみると
その自分が考えていたものにいかに実体がないものかがわかると思います
私の場合、強迫性障害に伴うものなら実際に本当にそうなったかを確認すればわかります
加害恐怖で本当に人を傷つけてきたか・・・本当に逮捕されたか・・・本当に人をひいてしまったか・・・
うつ病に伴うものなら貧困妄想のように本当に貧困になったか・・・
心気妄想のように本当に重大な病気になったか・・・
これら全て私が抱いていた不安や恐怖は現実のものとはなりませんでした
これは精神的な病だけのことではありませんよ
日常生活で感じる不安や恐怖の全てが頭の中で勝手に作られています
どうつくられるかはその人が生きてきた環境や何かによって決定づけられるため私にも詳細はわかりません
例えばプラス思考の人とマイナス思考の人では同じ出来事でも考え方は180度違います。同じ出来事でもそれを新たな希望やチャンスと捉えるか、それとも不安や恐怖として捉えるか
もしかしたら不安や恐怖がその通りの「結果」をもたらすかもしれません
そんな時「やっぱりな・・・」と思い自己否定に陥ったりさらに不安や恐怖に支配されるかもしれません
でもそれはたまたまそうなっただけなんです
あなたの不安や恐怖の予想が当たったわけではないんです
それをなんだか自分の不安や恐怖がそのまま現実になったとして捉えてしまっているだけです
そうとらえてしまっているだけ
それすらも勝手に捉えているという幻想なんです
だから良いように、プラスに考えてもまたその予想は外れるかもしれません
でも良いように考えても悪いように考えても結果がわからないのであるなら良いように考えたほうが精神的には良いでしょう
結果がどうなるかわからないのであれば良い方に考えた方が良いのは一理あります
ただ良い方に考えたけど結果はダメだったから余計に落ち込んでしまう
そんな人もいると思います
おすすめな考え方 俯瞰する
そして私が1番おすすめな考え方は
プラスもなければマイナスもない
成功もなければ失敗もない
起こるべきことは必ず起こるし起きないことは起きないというものです
もしかしたらこれには異論がある方もいるかもしれませんね
プラス思考、希望、期待、そのような考えのもと生きていけば良いのではないか?と
確かに私はそのような考えも良いと先ほど書きました
マイナスに物事を考えるくらいならプラスに考えたほうがいいと
でもよく考えてみてください
プラスに考えていればなんでも良いのでしょうか?
希望や期待、成功などとにかく良い方向へ考えれば結果はうまく行くのでしょうか?
そんなことはありませんよね
どんなに希望や期待を抱いてもその通りになるなんてことはあり得ないでしょう
つまりプラスであろうとマイナスであろうと結果はわからない
結果がわからないからこそ結局やりたいようにやればいいということになります
このことを見抜いていることが大切なのです
見抜いた上でプラスに考えられるならそれはなおよしです!
でもそれを見抜いていないのにとにかくプラスに考えよう、そしたら良い結果がもたらせるかも・・・じゃダメなんです
それでは根底にマイナスの気持ちがあることに変わりはないですから
マイナスの気持ちがあるから「プラスに考えなきゃ」なんて思うわけです
最初からプラスに考えられる人ならわざわざ「プラスに考えなきゃ!」なんて思いません
物事の二面性
話を戻します
物事にはコインの裏と表があるように2面性を持っています
ここで言えばプラスとマイナスです
これは表があるから裏も存在できますし、その逆も然りですよね
表だけ存在することはあり得ないのです
つまり希望や期待や成功だけの結果を招くことはできないのです
それらプラスの側面を見るということは同時に反対のマイナスの側面の結果をも受け入れらければならないのです
でも先ほど言ったように
結果は誰にも予測がつかないのです
結果がわからないならプラスもマイナスもない立場から物事を考えていけば良いのです
要は「物事を俯瞰してみていく」というこです
物事を俯瞰してみると物事にはプラスの側面もマイナスの側面もあるのだということがわかります
そしてそれは自分にはコントロールできないものだということも
だったら出た結果を淡々と受け入れていくしかないのです
そういうと「マイナスを受け入れるなんて・・・」「そんなの嫌だ!」というエゴの声が聞こえると思います
実はそのエゴの声も幻想なんです
それにその時はマイナスと思っていたことが後になってプラスになったり
イケメンや美女と結婚できたと思ったら全然理想とは程遠い人だったりとプラスがマイナスに転じる場合なんて山ほどありますよね
だからその場その場のエゴによるプラスやマイナスなんて判断はなんの正当性もないのですよ
エゴによる判断そのものが間違っている
ということは結局
私たちができることは結果を気にせずに「やりたいことをやるだけ」ということになるんです
結果はわからないのだから後はお任せってやつですね♪
不安や恐怖はいらないもの?
これまでの話から不安や恐怖はいらない・・・そんな風に思ってしまったかもしれません
でもそういうことではないんです
不安や恐怖は人間の防衛反応です
車に轢かれるかもと思っているのに不安は幻想だからと飛び出していては命がいくつあっても足りません
不安や恐怖は勝手に起きてくるもの、エゴが作り出している幻想であり人間に備わった防衛反応ということを見抜いた上で
うまく使っていけば良いのです
それらの反応が出てもどうしてもしたいことなら結局はやることになるでしょう
逆に不安や恐怖があったことでやらないことに決めたなんてこともあるでしょう
要はそれらとの付き合い方の問題です
かの有名なエジソンさんは発明における失敗を失敗とは思わなかったようです。「うまくいかない方法を見つけた」と言っていたとの逸話があります。
このエジソンさんの例は失敗するかも・・・という不安でもなく、成功するんだという期待や希望でもなく淡々とやりたいことをやっていくという素晴らしい指針になると思います
エジソンさんは成功も失敗も超えて発明をすることだけに集中していたから多くの発明品を残したのではないかと私は思います
プラスでもマイナスでもないバランスの取れた考え方を目指しましょう♪
そうやって不安や恐怖とうまく付き合っていけばもっと自分の世界は広くなると思いますよ
今回のまとめ
不安や恐怖はエゴ(脳・思考)が作り出している幻想・幻
不安や恐怖を感じている通りにはならないし、例えそうなっても意味合いは変わってくる(良いと思ったことが後々悪く、悪いと思っていたことが良くなる)
不安や恐怖に縛られるくらいならプラスに考えたほうが良い(ただ根本にマイナスがあるなら逆効果になることも)
目指すはプラスもマイナスもないバランスの取れた考え方(生き方)です
私も前は不安や恐怖に押しつぶされていました・・・。だけどそれらは実体がなく結果も誰にもわからないことが実体験としてわかってから不安や恐怖に惑わされることは少なくなりました