「まあ、いっか」は魔法の言葉!?あらゆる出来事を俯瞰してみることができる時、苦しみは終わります

はじめに

こんにちは♪

突然ですがあなたは「まあいっか」という言葉やそれに似た言葉を発することは多いですか?

もし多いのならきっとあまり悩みもなく人生を進むことができているのでは?と勝手な想像をしています

でもなかなか「まあいっか」と思えない・・・そんな方もいらっしゃると思います(以前の私もそうでしたよ〜)

今日はこの「まあいっか」という言葉がもたらす効果についてお伝えしていきたいと思います

例えば・・・

例えば生活していて一円落としたとか服を汚したとか靴下に穴が空いたとか、そういう些細なことなら大抵の人は「まあいっか」と思えると思います

しかし自分の感情が揺さぶられるような出来事や自分に大きな影響があると思われる出来事についても「まあいっか」と思える方は少ないのではないでしょうか?

なぜなら自分の存在や持っているもの(お金や大切にしているもの、命)などが脅かされるからです

端的に言えば自我(エゴ)が怯えているのですが・・・

でも何度か記事に書いてありますが本当の自分とはエゴとしての自分ではありません

確固たる「自分」なんてものはもともといないのにエゴがまるで自分がいるかのように錯覚させられているのです

ですので本来は感情が揺さぶられる「人」なんてものがそもそもないんです

この辺の話はややこしいのでこの記事では触れませんがどんな時でも「まあいっか」と思えることは人生をシンプルにさせてくれます

「まあいっか」はエゴのジャッジを無効化する

私たちは人生において何か重大なことが起こると思考や感情をフル活動させてなんとかしてそれを避けようとしたり防御しようとします

でも自分なんていないのだから「まあいっか」で終わらせてしまえばいいんです

試験に落ちてしまった・・・まあいっか

彼氏彼女に振られた・・・まあいっか

離婚した・・・まあいっか

会社をクビになった・・・まあいっか

本来は右往左往するようなことでも「まあいっか」でいいんです(簡単ではないですよね)

だって「重大」「マイナス」と思っているのはエゴが勝手にそうジャッジ・判断していることだし何かが起きたことはそれこそあなたの力が及ばない力が働いているのですから気にしないでいいんです

「まあいっか」という言葉はエゴの力を遠ざけます

何か嫌なことがあるとマイナス思考になりマイナス感情に流されますがそれはエゴの仕業です

でも「まあいっか」はそのエゴの力を弱めます。エゴにジャッジの出番を与えません

そうはいってもまた嫌な思考や感情が湧いてきます。でもそれすらも「まあいっか」なんです

すべてが「まあいっか」になった時に何が起こるか?

「まあいっか」で苦しみは終わる

あらゆる出来事に「まあいっか」と俯瞰することができるようになった時に苦しみや悩みなどが終わりを告げます

まあいっかにできないから人間は悩み苦しむのです

なんとかして悩みや苦しみをどうにかしようと、現実をコントロールしようとするから結果、悩み苦しむのです

「まあいっか」は二元的価値観を超える

この世には二元的な考え方・価値観があります

勝ち負け・損得・幸せと不幸・正しいと間違っている・光と闇など

そのような価値観を人間はいろんなものに対して瞬間的につけていきます

これは私にとって損だろうか?得だろうか?

この選択は正しいだろうか?間違っているだろうか?

この人といれたら幸せか?不幸か?

そういった価値観からそろそろ自由になりませんか?

コインの裏ばかり見ていると苦しいから今度は表を見てみろとあるひとはいいます

間違っていませんが大切なのは「表と裏があるんだ」と認識していることなんです

そして表と裏が出るのは「私」のせいではなくほとんどが「運」と呼ばれているものなんだということです

それを知ることができるのが「まあいっか」なんです

あらゆる出来事に対して「まあいっか」と全てを受け入れていけることであらゆる価値観から自由になることができます

自分にとっていいことも悪いことも「まあいっか」で済ませるようになった時には「何がいい」で「何が悪い」と言う価値観がなくなっていきます

すべて「まあいっか」なんですから

スマイル

プラスの出来事でも「まあいっか」とはなかなか思えないですよね〜。「俺」すごい、「俺」ツイてるとかになって「俺=エゴ」が出てきやすいです。でもプラスと思われるような出来事でも「まあいっか」で済ませられるようになると出来事で一喜一憂しなくなります

この記事のまとめ

いかがでしたでしょうか?私が「まあいっか」をお勧めする理由がわかっていただけたでしょうか?

私自身、生きていて「これが自分だ」とエゴと一体化している時は「苦しみ」を感じることはいまだにあります

しかし確固たる自分なんてものはいないことが理解し始めた今、いわゆる苦しいと悲しいとかという概念で物事を見なくなりました

苦しいけど「まあいっか」ではなく楽しいけど「まあいっか」ではないんです(これも大切)

そもそも苦しさとか楽しさとかも概念上のことであり本当の自分に起きていることではないんです

その辺はまた別記事に書いてあります

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