「人生は運次第なのか?」
もしかしたらあなたもそんなことを思ったりしたことがあるかもしれません
生きていると自分の力ではどうにもできないことって起きますよね
それに実力があっても運がないから上には行けなかったり逆になんの努力もしていない人が運だけで成功したりする人もいます
結局人生は運によって左右されているんじゃないか?そんな疑問が一度は湧くと思います
私もこれまで色々な経験をして一つの結論に辿り着きました
それが「人生は運次第」ということ
そして「人生は運次第だから余計なことを考えずやりたいことをやれば良いということ」
「運も実力の内」は嘘でありそもそも実力なんてものはない
今日はそんなことを記事にしていきたいと思います
以前ネットニュースで若い方が高学歴で起業しタワマンや高級車を持っている方の記事が出ていました
その際に記事の一般の方のコメント欄に
運が良かっただけ
運も実力のうち
運だけではなく本人の努力があったから運だけと言っているのはおかしい
親ガチャに成功しただけ
などのコメントが散見できました
私もその方の記事をみてすごいな!と思いましたがあまり「本人の努力があったから」とは思いませんでした
なぜならやっぱりこの世は運だからだと思っているからです
そういうと「人生は運ならもうダメだあ」と悲観的になる方がいるかもしれませんが私が言っているのはそういうことではありませんので最後まで読んでいただけると私が言わんとしていることがわかっていただけると思います
では少し例を出しながら「なぜ人生は運と私が言い切るのか」についてお話したいと思います
<例えば志望校に合格した例>
受験生が努力したから合格したのか?
違います
運が良かったからです(受験生に怒られそうですが)
でも怒らずに少し聞いてください
志望校に受かったのはもしかしたらあなたの得意分野が出てのかもしれません
他の受験生がミスしたからかもしれません
そもそも学校の先生や親のサポート、塾の先生はどうでしょう?
そもそもあなたがその両親の元に生まれなかったら?
そもそもあなたがその大学のことを知らなかったら?
結果としてあなたはその大学を受けることすらしなかったかもしれません
たまたまネットで見て「この大学いいなあ」と思ったのすら運といえます
つまり「運」の元にあなたはその大学に出会い合格することができたのです
ちょっと待って!俺はすごい勉強したから合格したんだよ!と言いたいですよね
すごくわかります!(私自身も猛勉強して大学に行きましたから)
でもあなたはそれらの運の元にその大学を引き寄せ
そしてその大学へ行きたいと思ったから勉強したのなら大元を辿るとやっぱり運ということになりませんか?(行きたいと思ったのですら運ではないでしょうか?)
じゃあ勉強しないでも運だけで合格できるのか!?
そう反論するのはごもっともです!
運だけで合格なんてできませんよね
勉強しないで東大には合格できません
でも私が運と言ってるのは全く行動しなくていいと言ってるわけではないんです
そこを間違えないでくださいね
この世は運が全てとは思うが「行動」はしないでいいわけではない。運に応じた「行動」は必要
大学のCMを見た(運)→行きたいと思った(運)→勉強する(行動)→合否(運)
この行動すら「運」が元に湧き起こっている行動です
大学に行きたいから勉強する
これはイヤイヤやらなきゃいけないような努力とは違います
やるべきことを淡々とやるという行動です
例えを変えます
宝くじで1億円当たった人がいます
その人は実力があったのでしょうか?
宝くじは買わなきゃ当たらないんだからやっぱりその人の力もあるじゃ!?
ではなぜその人は宝くじを買おうと思ったのでしょうか?
TVのCMがたまたまやっていたのを見かけたからかもしれません
ではなぜその売り場で買ったのでしょうか?
たまたま通りかかったからかもしれません
そう全部たまたまなんです
もしかしたらたまたま当たった宝くじで破滅するかもしれませんが、これもまた運です
今をときめくメジャーリーグで活躍している大谷翔平選手も運なんておかしい!
そうおっしゃる人がいて当然です
実際、大谷選手は運をよくするためにゴミ拾いをしたりと徹底した自己管理、練習を積み重ねてきました。これを実力と言わずなんと言うのか・・・ごもっともな意見です
ですが大谷選手が「運をよくするため」に「ゴミ拾いをする」という行動をおこなっているようにすでに「運」を認識していますし、そもそも大谷選手が野球と触れ合う機会がなかったら・・・
栗山監督と会わなかったら・・・
など偶然が何度も何度も訪れて今の大谷選手の活躍が生まれているはずなんです
もちろん大谷選手の自己管理と練習は素晴らしい行動です(行動は必要なんです)
ですので結局、どこまで行っても「運」なんです
実力というものはないのです。だから実力があってもなくても運によってどうにでもなってしまいますよね(何度も言いますが行動しなくていいわけではありません)
実力なんてない。この世は全て運次第ということは「たまたまそうなった」というだけです
でも冒頭にも言いましたが「人生は運次第」というと悲観的に捉える人もいるようですね
「人生が運で決まるならもうどうしようもないじゃないか〜」って
でもやっぱりそれは違うんです
運次第だからこそ何が起きるかわからないんですよね?
人生は運に左右されるものだとすると当然自分には責任がないからやりたいことをやればいいというシンプルな図式になるのでは?
これまでは「人生を決めるのは自分の力・能力なんだ!」と思って努力しなければならないと思っていたけど全てが運によるものなら自分にその責任はないから気が楽になりませんか?
運がすべてならあとはやりたいことをやればいいのではないしょうか?
やりたいことをやって失敗したらどうするんだ!?
もちろん失敗するのも運ですね
でも失敗とは本来は「自分が」するものですが運が失敗の原因なら「失敗」という概念すらなくなりますね
そしてやりたいことやっているからこそ人生の流れに乗り成功していくのではないのではと思うのです(この際成功の概念は横に置いておきます)
だからもちろん成功者たちも行動はしているんです
ですがその行動に嫌々やっているというブレーキや抵抗感はないのです
私は他の記事でも「現実はコントロールできない」ことを書いています
それは「運」もっと私が好んでつかっている言葉であれば「源泉」によるものだからです
そして源泉こそが本当の私だからエゴの私(普段、私と思っているもの)はただやりたいことをやってあとは源泉に任せておけばいいという結論になるのです
私が悟りやスピリチュアルに対して理解を深めることができた師匠(勝手にそう思っている)やラメッシ(インドの聖者)も「源泉」という言葉を使っていたのが私も気に入っている
運が良いか悪いかなんてわからない
運が良いというのはおそらくお金を持っているとか高級車に乗っているとか親ガチャに成功したとかそれはもう色々あると思います
でも運がいいと周りは思っていても当の本人は逆に苦しんでいたりすることも往々にしてあります
また運が悪いと思っていたことが後になって良かったことになることもありますね
「災い転じて福となす」という言葉があるように
結局、運が良いとか悪いとかは人間のエゴが勝手にジャッジして判断しているだけです
そしてエゴが「あなたはそれを持っていないよ、足りていないよ」「もっと頑張らなきゃダメだよ」と頭の中で囁いて出来事をジャッジしているのです
「良い」「悪い」というのは二元性の考え方で人間がよくやる思考方法です
二元性(論)とは光と闇、幸と不幸、表と裏など相反する2つの価値観で物事を見る視点のこと
結局、運がいいとか運が悪いなんて勝手な判断をしないで流れに任せていくのがいいんじゃないでしょうか?
まあそれが難しいんですけどね(笑)
最後になりますが「人生は運次第」と言っているこの言葉すら正直意味がないことなんです(元もこもないけど)
だからあれこれ考えず、運とかそういうことも考えずやりたように生きていくこと、それがもっとも源泉としてただ在るということになると思います
まとめ
いかがでしたでしょうか?
最後はなんかもともこもない話になってしまいました(笑)
ですが運次第と聞いて「そうかこの世は運次第なんだ。やりたいことをやれば良いんだ」とそれを指針にするのもおかしな話なんです
お水飲みたい→水を飲む
トイレ行きたい→排泄する
が正解で
これをやりたい→そういえば運次第だからやりたいことをやってみるか→やる
は真ん中の思考が邪魔です
やりたい→やるが正解なんです
だから余計な思考や感情から離れていけば結局それは運(源泉)に任せて生きてるってことですのであまり深く考えすぎないのが良いですよ♪
こちらも合わせて読んでいただくとよりわかりやすいかもしれません
人生は運で全てがきまっている。ただそれは何もできないというわけではない
人生は運だからこそ我々はやりたいことをやる自由を持っている
運が良いとか悪いとはエゴによる判断だからほっとけばいい