不平不満・愚痴をつい言ってしまう!?言ってもいいんです!ただその正体に気付いてください

この記事に向いている方

不平不満がたまっていてどうにかしたい方・不平不満を言わないようにしたい方

こんにちは♪

今日は「不平不満や愚痴」について記事にしていきたいと思います

不平不満や愚痴は生きていればどうしても出てきてしまいますよね

もしかしたら私には不平不満なんか1個もないよ!なんてそんな方も中にはいるかもしれませんが

(そんな方はそもそもスピリチュアルだなんだ気にしていないのでそもそもこの記事も読まないと思いますが)

でも不平不満や愚痴ってあっていいものだと思います

私だって日々、なんかしらの不満や愚痴は出てきます

ただ前に比べると不平不満や愚痴の量はだいぶ少なくなりましたしそれに悩む機会もグッと減りました

今日は不平不満が溜まってしまっている方、そういうものから解放されたい方に向けてお話したいと思います

もしかしたら今回の私のお話しで日頃感じている不平不満が減るかもしれません

さっそく結論から

不平不満は言っても構わない。ただエゴの策略を見抜いた上で不平不満や愚痴を言うこと。そうすれば自然と不平不満や愚痴は無くなっていく

なぜ不平不満や愚痴が出てしまうのか

不平不満や愚痴というのは自分以外の何かをコントロールしたいのにできないことに対して出てきます

不平不満や愚痴=コントロール欲求から起こる

なんであの人は仕事しないんだ・・・

なんでわかってくれないだ・・・

どうしてこうも雨ばっかり続くんだ、うっとおしい

どうして・・・

なぜ・・・

これって全て現実を自分の都合の良いようにコントロールしようとするから起こることなんです

まずそこに気づきましょう

多分、不満や愚痴が出る時って無意識なのでコントロールしようしていることにすら気づかないはずです

コントロール欲求から不平不満や愚痴は起きるんです

なぜ人は現実をコントロールしようとするのか

例えば私ならお天気や信号、今では自分の周りにいる人や自分の人生をどうにかしようと思うことは格段になくなりました

でも以前は違っていたのです

以前はあらゆることをコントロールしようとしていた

でもその過程でいくつか気づいたことがあったんです

まずこの世は自分にはどうにもならないことばかりなんだ

つまり自分も含めた内的・外的なものはコントロールできないものなのだ

例えば

「私」は脈拍を早くしたり・遅くしたりできるでしょうか?

「私」はお天気や信号をどうにかできるのでしょうか?

「私」は健康に気をつけていれば病気にならないのでしょうか?(まあ可能性は減るかもですが)

「私」は周りの人間をコントロールすることはできるのでしょうか?

そうやって現実を見た時に私ができることは何もないことに気づいたのです

そもそも日本に生まれたことや両親などそれすらだってコントロールできていないですよね

でも私もあなたも「自分は現実をコントロールできる」そんな風な無意識的な考えが植え付けられていませんか?

例えばスポーツなんかでも練習して試合に勝てるようになったら「私」が練習したからうまくいった

勉強して大学へ合格した・成績が上がったとすれば「私」が勉強したから合格したんだと思います

当然と言えば当然です

周りも「よく頑張ったね」とかうまくいったからご褒美を与えられて周りからも「私が現実をコントロールしているんだ」という思考が強化されていきます

そして成長とともにますます「私」が何かをしているという「自我=エゴ」は肥大化していきます

これは成功体験だけの話ではないんですよ

何かに失敗しても「私はダメだ」「私なんか」と言って結局、偽りの私=エゴを強めていくのですから

そうやって「エゴ」つまり「私」が主体となった人生が形成されていきます

この私が形成された時から現実をコントロールすることが始まるんです

ここで私が最初に挙げた例えを見てみると

なんであの人は仕事しないんだ・・・「私」は頑張っているのに

なんでわかってくれないんだ・・・「私」がこう言っているのに

どうしてこうも雨ばっかり続くんだ、うっとおしい・・・と「私」が感じている

どうして・・・なぜ・・・も「私」が主体なんです

つまり全て「私」から見た「私」以外の世界をコントロールしたいのです(世界との分離)

そうやって不平不満や愚痴を言いたくなるというのは

それだけコントロールしたいという欲求が強いということを表し

同時にエゴが強いということも示しているのです

世界から分離し全てが「私」「私以外」のものになっているので不平不満が出てきてしまうのです

不平不満や愚痴はやっぱり言ってはいけないのか?

言ってもいいです

もちろん面と向かってとか言い方を間違えない方がいいでしょう

例えば車の中で叫んでもいいし、それを吐き出すことは大切です

無理やり押さえ込んだりしていたらいつか爆発してしまいます

でもちょっと待ってくださいね

そもそもその不平不満や愚痴っていったい「誰」が言っているんですか?

「私」?

違います

エゴが言っているんです

つまり本当の私じゃなくエゴによって言わされている状態というのが正確な答えなんです

さてこの辺をもう少し詳しくお話しましょう

あなたは役を演じているだけ

例えば皆さんが俳優さんだと仮定します

あなたはある役を演じることになりました

その役はいつも不平不満ばかりいう役です(どんな役???)

でもあなたはそれが役だと思っているわけで本当の自分はそんなやつではないことがわかっているので特になんとも思わないと思います

あなたは役で演じているわけですから役としてブチギレたり、文句を言ったり、涙を流して喚いたりすることもあるでしょう

でもあくまでも役ですからあなたはそれ(役)そのものではありません

あくまでも「本当の私」(エゴとしての私ではない)と「役」を分けて考えているはずなんです

でも役者なのに役をまるで本当の自分だと勘違いしてしまっているのがまさしく不平不満や愚痴を言っている自分に苦しんでいる状態なんです

本当の私からは離れているんだから苦しくて当然なんです

本当のあなたは「役=エゴ」じゃないんです

役がまでる自分そのものと思っているから苦しいのです

もしかしたらあなたは不平不満を言いたくないからまるで聖人君子のようになりたいと思っているのかもしれません

いつも朗らかで明るくなんの不平不満もなく過ごす人生・・・

そうやって不平不満や愚痴ばかり言っている役ではなくてもっと違う役を希望するかもしれません

でも残念ながらそれは叶いません(正確に言えば結果として違うものになる可能性もあります)

個人個人には何かによって既にいろんな配役がされています

俺はこんな配役じゃいやだ!

私はもっとこんな役になりたい!

周りももっとちがう役者さんに変えて!

環境ももっと違う環境に変えて!

きっとそう思うから不平不満や愚痴が出てくるのです

でもあなたも私ももうそういう配役でこの世界での出演が決まっているんです

だったらその「役」を演じればいいのではないでしょうか?

あくまでも「役」として

これは裏を返せば「本当の自分」はすでに役を降りていると言うことになります

もちろん私はこんな配役は嫌だから監督に抗議してもっと違う役をやるように頑張る!のも一つの手だと思います

そのために自己啓発があるのですから

でもそれはとてもつもない努力を必要としますし、きっと苦しい道でしょう

努力しても他の役にはなれないかもしれません・・・(私もそうだったように・・・)

だからもう一つの「あなたは役を演じているだけなんだよ」

「エゴによって役がまるで本当の自分のように思わされているだけなんだ」ということをお伝えしたいのです

よくスピリチュアルでも言われますよね

「他の人になろうとしなくていい。あなたはあなたのままでいい」「ありのままでいい」

これを字面のままで取らない方が私はいいかなと思います

「あなたはあなたのままでいい」はエゴの策略に気づかないと「あなたは役のままでいい」ということになってしまいます

そうではなくてエゴに気付いた上、つまり役を演じていることを分かった上での「あなたのままでいい」ということなんだと私は思っています

だから不平不満や愚痴を言ったっていいんです

我慢する必要はありません

でもあなたが役と本当の自分を同一化してることを見抜いた上で言ってください

おそらく・・・

見抜いちゃうと不平不満は格段に減っていきますが(笑)

だって全てエゴ(役)によって不平不満を言っているだけですから

ここまで話してきても

「何それ?」「私は不平不満を言わないようなキャラになりたいのに」そんな風に思っているかもしれません

でも私もこれまでそうやって「自分」をどうにかしようと試みてきました

そのせいで精神科のお世話になることもありました

スピリチュアルや引き寄せの法則、悟りなどに傾倒しどうにか「自分」を「自分の人生」をなんとかしようとしてきました

でも全てが無駄(エゴに気づけた点では有益)だったのです

それすらもエゴの策略だったのです

そうやって「自分」「私」がなんとかしようとするように仕向けてエゴを肥大化させてきたのです

私がこれまでやってきたのは「エゴ視点」で自分や人生をどうにかしようとしてきただけ

ただ単にエゴ(私)が強化され続けてきたのです

皆さんももしかしたら私と同じ道を歩んでいる最中なのかもしれません

ですがエゴの策略に気づけば不平不満や愚痴も大したことじゃなくなっていきますよ♪

だって「私」だと思っていたのは全てエゴのまやかしだったのですから

不平不満を言いいたくない人におすすめの本

私が不平不満を言わないようにしようと思ったのはこちらの本がきっかけでした

もし良かったら読んでみてください(21日間不平不満を言わないのはなかなか難しい)

文庫本も出たようです

今回の記事のまとめ

不平不満や愚痴は言ってもいいんです

でもそれは現実をコントロールしようとする欲求からきていることにまず気付いてください

さらにコントロールしようとしているのはエゴのせいなんです

「私」がコントロールできるなんてことは何一つないのです

全部エゴによるまやかしです

それに気付いた時、特に何もしなくても不平不満や愚痴は自ずと減っていますよ

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