こんにちは♪
相手は自分を映し出す鏡なんてことをスピリチュアルでは言われます
それと同時に人が個々にみている世界もその人を映し出している鏡です
その鏡を通してあなたはあなたの先入観・価値観でも観念でも呼び名はなんでも良いのですがそれを知ることになります
人間は周りの人間との関係性によってのみ「自分」を知ることができます
例えば地球に自分一人しかいなかったら「自分」とはなんなのか、誰なのか知るよしもありません
比べるものが何もない世界ですので
私たちは自分の周りの人間や世界を通してのみ自分が持っている観念、枠組み、フィルターを知ることができます
人間はそれぞれ独自の観念(ここでは観念に統一します)を持っています
「〜が正しい」「〜が間違っている」「〜でなきゃおかしい」などなど
大人になるにつれて徐々にたくさんの観念を身につけそれを強固なものにしていきます
そしてその観念こそが私たちを不自由にしています
その私たちを縛っている鎖を外すために周りの人や世界があります
私たちは観念を外していくことで「エゴ」から自由になることができます
エゴの喪失ができれば人間の悩みはなくなります(だって自分というものがいないのですから)
私も少しは減ったと思います(笑)
でも今はエゴが完全になくなる必要はないとも思います
確かに悩み苦しみがなくなることは誰しも望んでいるかもしれません
そのように悩み苦しみがなくなることは同時に喜びの喪失でもあります
なぜならコインの表と裏のようにそれらは表裏一体でありどちらか一方のみを味合うことはできないのです
ですからエゴを完全に無くすようなことを無理に目指す必要はない・・・と思っています
(もしかしたら全てエゴがなくなった時こそ光り輝くことができるかもしれませんが私はまだそこに至っていないので)
ただ先ほども言ったように人それぞれの観念が多くの苦しみを生み出します
「こうでなきゃいけない・・・」
本当はそんなことはないのに勝手に出来上がった観念が苦しみを生み出します
私も今思えばたくさんの観念に縛られてきました
それはもうがんじがらめというやつです(笑)
だからこそ30歳をすぎてから強迫性障害とうつ病を患うことになったのでしょう(泣)
ですが病気になったことで悟りやスピリチュアルなどの知識に触れ、そして自分がいかに思考や観念に囚われてきたかを知ることができました
おかげで病気になる前よりずいぶんと生きることが楽になりました
ですので全てではないにしろ観念を消していくことで自由を手に入れることができますのでいらないものは捨てていきましょう
さて・・・
あなたの前にいる人はどのように映っていますか?
もっとこうすればいいのに・・・
なんであんなこと言うんだろう・・・
あいつは頑固者だ!
あいつはデリカシーがない!
そんなこと思っていませんか?
そう思うのならあなたはそう思ってしまうような観念を抱いているということです
そしてその観念によりあなたは苦しんでいます
あなたの周りにいる人たちを変えることはできません
あなたにできることはあなた自身が変わることです
どこを変えるべきなのかはあなたの周りの人や世界が教えてくれています
そうやって一度手に入れた観念を再び手放すことによりあなたは自由になっていきます
(子どもは観念がないので自由ですよね)
あなたの周りにいる人たちや世界が鏡というのは、そういう意味です
あなたの観念を写している鏡という意味です
では観念を外すにはどうすればいいのか?
簡単です
その出てきた観念を無視する・放っておくことです
また新たな望ましい観念に書き換えるのもいいかもしれません
いずれにせよ古い観念に力を持たせないようにすることが大切です
今日は少し悟りに近い話だったかもしれないので混乱したかもしれません
スピリチュアルと悟りというのは似てるようで違うので(私はそう思っている。ただし突き詰めると一緒(笑))
その辺はまた今度記事にしようと思います