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私が抱いていた夢
私の夢は中学生くらいは建築家、高校生くらいは考古学者(映画インディジョーンズの影響)でした。ただコロコロ変わっていたし正直本気度でいったらかなり低いと思います
そんな私にもかなり本気になった夢がありました。それが「医者」を目指すというもの。私は小さい頃からアトピーで悩んでおりその時の経験と同時自分が好きだった漫画「スーパードクターK」に触発されたのだと思います(この漫画知っている人は少ないかも)
しかし当時の私は勉強嫌いで文系クラスにいましたし、生まれてこの方、勉強で努力するということをしたことがありませんでしたので両親にもその夢は言わずにいましたし自分なりにもう諦めていました
お恥ずかしい話しながら私の勉強嫌い…というより「生きる」ということを真剣に考えてこなかったため1浪しても全然勉強せず成績は現役よりもむしろ下がっていました
そんな私に転機が訪れたのは2浪が決定した時です。初めて自分の馬鹿さ(偏差値ではなく生き方の方)に気づき親に泣きながら土下座しました
そこから私は地元を離れ4畳半の部屋での寮生活を始めました。そこからです、私が変わったのは。とにかく朝から夜中まで勉強しました。朝も早くに起きて寮から出る一番早いバスに乗って予備校が開く前から教室につながる階段に座って勉強しました。
その1年間で偏差値は20以上あがりました。そうして第一志望だけでなくその年受けた学校全てに合格できました
この時に芽生えたのが「自信」だったと思います。やればできるという自信。合格と共に手に入れた初めての感情だったと思います。それだけ私はいつも中途半端に生きてきたということでしょう
ただここまでなら良い話かもしれませんが、良くも悪くも私はまた日々の生活に流されて行きました。大学へいくことが目標だった私は目標を達成したこと、大学の華やかな生活、勉強から解放された心地よさ(本当は大学だって勉強の場所なのに)からまた自堕落な生活へと戻っていったのです。泣いて土下座したことはあっという間に忘れたと思います
そうやってまた本来は有益に使える時間を無駄に浪費していきました。そしてまた就職活動をする直前になって自分探しを始めたのです
大学を合格したことで芽生えた自信が「俺ならできる」という変なものに変化でもしたのでしょうか。以前諦めていた医者への憧れが沸々と湧いてきました
本当に私は恵まれた両親のもとで育ててもらったと思います。私のわがままを許してくれました。ここから私の「医者になる」という夢がスタートしました
夢が苦しみに変わったとき
最初の1〜2年間は一から理系科目を勉強するためそれこそ散々だったと記憶しています。ただ勉強をすることが好きになっていた私は成績もどんどん上がり模試の成績優秀者にも名前を載せてもらえるほど偏差値も上がりました
しかし…結果は不合格。あと少し…と思っていた私はもう後にはひけなくなっていました。もう今更就職なんてできない!そう思っていましたし、医者になるのが最善だと思って頑なにその道に固執しました
そこからです。私の夢が私を苦しめるようになっていたのは。夢が執着になったのはいつからかは記憶がありません。しかし少なくとも「医者になって自分と同じ病気の人を助けるんだ」という思いは年々少なくなっていたと思います。とにかく医者になることが私にとっての最大の目標になっていました…
「夢は諦めずにいれば必ず叶う」なんて言葉がありますが私はそんなことはないと思います。諦めなければ夢は夢として続いていくだけだと思うのです
もちろん時間が経って叶うかもしれませんし叶わないかもしれません
しかし少なくとも夢が自分自身を縛る鎖になったらそれはもう夢を諦める選択肢も考えて良い時期なのかもしれないと思います
夢を見失わないために
また私が今思うのは、最初に抱いた純粋な夢…。私であれば「人を助けたい」という想いを持ち続けることができたらもしかしたら夢を叶えられたかもしれないと思っています
いつからか「人を助けたい」から「医者になること」が目的になってしまっていたのです。「人を助けたい」これが本当の目的であり、「医者になること」は本来は手段だったはずなのです
目的を見失い手段ばかりに目を奪われた私はいかに効率的に医者になれるか、その方法ばかり探していて本来の目標が見えていませんでした
ここでは簡単にしか書きませんが、医者になれなかった後悔、夢に敗れた思いはその後も何年・何十年と私を苦しめました
夢を叶えられなかった自信の喪失、自己否定、時間を無駄にした後悔など。そうしてそのことも多少影響はあったと思いますが31歳の時に強迫性障害やうつ病になり、その後10数年それらの病に苦しめられました
今はそれらの病を克服し自分の過去を冷静に振り返ることができます。そして今はまた新たな夢に向かうエネルギーも得ることができました
「夢」と言うととても素晴らしいものに聞こえます。ただ夢は時として「欲望」にも変化しやすいため注意が必要だと思います。「夢」と「欲望」との境はどこにあるのでしょうか
私は心から出た純粋な想い、それは夢だと思います。しかし頭で考えたものや夢本来の純粋な気持ちを忘れ執着へと変化したものはいつからか「欲望」に置き換わってしまうのではないのかと思います
夢を叶えるためには自己変革・自己研鑽が必要
夢は本当に素晴らしいものです。夢があることで生きていくエネルギーになると思います。そしてその夢を達成するために必要なことは自己変革・自己研鑽だと思います。それが絶対に必要です
私が医者になっていたならどうなっていたかはわかりませんが恐らく人を助けることはできなかったかもしれません。それよりも俺は医者なんだぞなんていう優越感や何かに心が支配されていたかもしれないと思います
こんなこというと合格できなかった負け惜しみにとらえられるかもしれません。そうです!負け惜しみも少し入っています(笑)
ですが今は夢がありそれを達成したいのであれば自己分析をし、その夢を実現するためにどうしたらいいのか、自分はどう在ればいいのかといった自分としての在り方をよく考えそれに向かっていくことが必要だと認識しました
例えば、大学に合格するためなら当たり前ですが勉強しなければなりません。そのためには自分を律する必要が出てくるでしょう
もっと言えば医者になって人を助けたいと思うのなら勉強だけじゃなく人としてどう成長すればいいのかを考え、その成長のために自分がどうしていけばいいのかを考え、そしてそれを実行していくことが必要だと思うのです
もちろん完璧な人間はいません
ただ人は時として流されやすいし楽な方に行ってしまいがちだと思うのです。だからこそ自分に夢があるのならそれに向かって自分を成長させていかなければならないのではないでしょうか?
「成長」なんて言うとものすごい困難かもしれませんがちょっとした習慣を始めるだけでもそれは小さな一歩であると思います。しかしそれを継続すると足跡ができるように必ず夢に向かって進んでいる証となるのではないでしょうか
私は今の自分はだいぶ好きですが昔の自分は嫌いでした
優しいだなんだと周りから言ってもらえてもどこか優越感や劣等感、自信がないなど自己否定や負の感情がたくさん渦巻いていました
そんな自分のままたとえ運よく医者になれたしても決していい医者にはなれなかっただろうし、もしかしたら心を病んでいたかもしれません
私には「自己変革・自己研鑽」という意識が圧倒的に足りなかったのです
大谷翔平選手とイチロー選手の自己研鑽を見習いたい
ここで野球で活躍しているイチローさんや大谷翔平さんのお話をさせてください。お二人ともメジャーリーグという野球最高峰の大舞台で活躍された(いる)選手です
お二人のインタビューや野球への取り組み方を見てると思い知らされるのが自分を分析し、どうあるべきかを考え、それを実際に実行している姿です
大谷翔平選手の目標達成シートはとても有名です。例えば運を良くするためにゴミ拾いをする。人間性を高めるために感謝をする
そのように大谷選手は最終的な目標である「8球団からドラフト1位指名」を達成するために自分がどう在るべきなのかを分析し、そしてまたそれを実行し続けました
おそらくではありますが大谷選手はさらにその先を見据えた目標(メジャーリーグ)も立てていたのではないかと思います
そして今やメジャーリーグ屈指の選手になった今でもゴミ拾いを続けていたり、審判やファンへの態度など人格者としてあり続けています
イチローさんも現役時代から道具を本当に大切にし人格者として振る舞われていたと記憶しています。また引退した今でも現役とほとんど変わらない出立で今度は若い人たちに野球を教えることをしています
私はお二人のように夢を達成するためにこのように人格を形成していくことこそが重要だと思います。だからこそ私の思いつきの建築士や考古学者、医者といった夢は叶えられなかったんだと思います。それに向けて自分がどう生きていけばいいのかの思慮が全くといいほど欠落していたのです
運命を変える(夢を叶える)ための言葉
ここで私が職場の壁に貼ってある言葉をご紹介させてください。この言葉はアメリカの心理学者であるウイリアムジェームスさんがいったとされる言葉です
心が変われば態度が変わる
態度が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
ウイリアムジェームスさんの言葉を引用
夢を達成する(運命を変える)ためにはこのような姿勢が必要なんだと思います。私もいろんな方の本を読みますが成功者と言われる方の生き方にはやはりこのような姿勢が共通してみられます
またマザーテレサさんがいったとされる言葉もご紹介させてください
思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい それはいつか運命になるから
マザーテレサさんの言葉を引用
とても似ていますね。それぐらい自己を変革・研鑽していくことは運命を変える、夢を達成するには必要ということだと思います
私は夢は確かにあったかもしれないが、それに向かうための自己変革・自己研鑽が足りずにいたため夢を追うことが苦になってしまいましたし、結果として運命を変えることができませんでした
夢を達成した方は少なくとも自己変革・自己研鑽ができた方だと思います。もちろん自分ではそんなに意識していないが思わぬ形で夢を達成できた!なんていう方もいるかもしれません。しかしそれすらも運が運ばれる何かがあったのではないかと私は思います
さて夢は大変に素晴らしい、そしてその達成には自分を変えていく必要があるとお伝えしました
夢がなくても良い。目指すべき道は一つ
でも夢がないことは不幸なのでしょうか?私はそんなことないと思います。夢がない、そんな方もいると思います
それでも一日一日を自己研鑽して生きていくことで自分にも気づかなかった夢が出てくるかもしれませんし、結果として日々が充実して楽しく幸せに生きることができるのではないのでしょうか?
そしたらもう夢はなくても夢が叶った状態とも言えます
なぜなら夢というのは「幸せに生きること」に集約されると思うからです
だとしたら結局は毎日をいかに充実させられるか、いかに幸せを感じて生きていられるか、ということが大切なんだと思います
でも勘違いしてほしくはないのですが「完璧」でなくても良いのです。人によって幸せを感じるのは様々ですから
私にとっての幸せは家族が健康で笑顔で過ごすことができるのを隣で見ていること。妻の夢を一緒に叶えること。両親に親孝行すること。ベッドに寝転がってゲームをしていること。おいしいご飯を食べてること。旅行すること。綺麗な景色を見ることなどです
もっとたくさんありますがこのような幸せの時間をどんどん増やしていきたいと思っています。そのためには経済的な向上も必要ですし、自己研鑽も絶対に必要です。だからそれをやっていきたいと思っていますし少しずつではありますが行動に移しています
幸せは人それぞれです。ゴロゴロしているのが幸せならそれだって立派な幸せです。もしかしたら私は欲張りなのかもしれません(笑)
夢は眠っているだけかも
先ほど夢がなくてもいいと言いました。でも多くの人は潜在的に夢があるとも思っています。ただ自分の夢について考えたことがなく日々に忙殺されてしまい忘れているだけなんだと思います
死ぬまでにやりたいことはなんですか?1年後に死ぬとしたら何をしたいですか?と聞かれたら「自分のしたいこと」が何かしらあるのではないでしょうか?これも「夢」だと思います
ぜひみなさんも自分なりの夢を見つけていただきたいと思います。そしたら自分が何をすべきか、どう在るべきなのかがぼんやりと見えてくるかもしれません
私は45歳です。頭の中の声は「もう遅い」「年齢が…」など夢にブレーキをかける言葉がたくさん出てきます。しかしその声に騙されて小さな一歩を踏み出せないとしたらとても勿体無いように今は思います
私の夢はまだまだ叶っていません。叶うかどうかもわかりません。ただ私は確実に一歩を踏み出したのであとは歩みを止めないようにしていきたいと思います。そしてもし夢が叶ったらまたご報告させてください。みなさんが抱く夢の歩みに負けないように私も頑張ります!
最後まで読んでいただきありがとうございました